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2024年7月16日
【高校OS7/13】体験授業(国語)の添削結果です。

 7月13日(土)の高校オープンスクールに参加してくれた皆さん、改めましてありがとうございました。
 国語の体験授業でお伝えした通り、皆さんが書いた台本の添削結果をホームページに掲載しますね。(当日お伝えした通り、希望者のみです。)
 添削では三色のペンを使っています。色分けの意味は次の通りです。

 赤(線)…ポジティブな気持ちに引いています。
 青(線)…ネガティブな気持ちに引いています。
 緑   …鋭い気づきや深く考えられているところのコメントに使っています。

 今回皆さんの台本の添削をして、場面後半部分の「彼(客)」のネガティブな感情を、全員が的確にまた深くとらえられていることが分かりました。大変すばらしいと思いました。
 また、「彼(客)」の心情を「なつかしさ(ポジティブ)」と「嫌な思い(ネガティブ)」が入り混じった複雑な心情としてとらえている台本もあり、こうした気づきも大変すばらしいと思いました。
 人間は時として、相反する気持ちを同時に抱えてしまう、複雑な生き物ですから。
 さて、前置きが長くなりましたが、下に添削した台本のPDFデータをあげておきますので、下の「添削台本」をクリックして、どうぞ確認してください。

添削台本

 最後に、皆さんが台本を作ってくれたこの場面についての、授業者の考えを書いておきます。
 授業者はこの場面は、〈『彼(客)』が罪の許しを求めて、過去の過ちを「私」に打ち明ける場面〉であると考えています。しばしば、この「少年の日の思い出」という作品は、小説の結末部分にアクセントを置いて読まれますが、授業者はむしろ今回皆さんに台本を作ってもらった冒頭部分にアクセントを置いて読むべきものだと考えます。
 彼(客)が、恥ずかしさにもかかわらず自分の過去の罪を打ち明けたのは、罪の告白によって自分の心が軽くなると直感したからではないでしょうか。
 キリスト教には、信者が聖職者に自分の罪を告白し、神の許しを請う「告戒(こくかい)」という儀式が存在します。この場面における「彼」と「私」の関係は、信者と聖職者の関係と全く同じであるように思われます。
 「少年の日の思い出」の作者ヘルマン・ヘッセは、聖職者の家系に生まれ、彼自身も途中で挫折はしたものの神学校に通い、聖職者を志したこともありました。
 よって、授業者のこのような読み方は、決して不自然ではないように思います。
 そう考えると、この「少年の日の思い出」は、「彼(客)」が〈一度犯した罪は決して許されない〉という絶望を悟る物語ではなく、「彼(客)」が〈罪の許し・癒し〉を求める物語であり、小説の余白の部分にそれが仄見えてくるような作品と言えるのではないでしょうか。


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